Profile


原点。 アパレルでの宣伝販促

 

新卒でワールド神戸本社に入社。当時のワールドは活気に満ち溢れていて、ガッツリ体育会系研修が懐かしい思い出。

配属された部署の責任者は当時は少数派だった大手商社からの転職組で、当時のおじさん世代にしては珍しく、時代を先読みするダンディな人だった。これからは女性が活躍する時代だ、と、女性だけの営業販促チームを作りそこに配属された。

新人の私は営業事務をやりながら、販売専門職から営業に抜擢された先輩について、新規開拓について行ったり、店頭イベントの手伝いから始まり、シーズンごとの販促企画や販促物の製作、ファッションショー(司会もしたな〜)、イメージカタログの撮影(海外ロケも行ったな〜)そして、同時に東京の渋谷パルコ、吉祥寺パルコ、銀座リザの3つのフラッグシップショップの店頭MDと販促も担当。販売促進担当として実にいろいろなことを経験させてもらった。

ちなみにそのチームはのちにグローブセールスマヌカンと命名された(笑)その頃、DCブランドブームが始まっていて、「夜霧のハウスマヌカン」という歌まで流行っていたのでした。

そして、私のその後の人生は、この上司との出会いがとてもとても大きく影響している。

結婚を機に東京店に転勤。

ワールド宣伝部にてプレス担当。表参道のプレスルーム(WORLD PRESS HOUSE)の準備から関わる。パリコレ、東京コレクション参加。

バブル全盛期、潤沢な予算を管理する媒体担当も担当。華やかでございました。

 

産前産後の期間、ふたりの頼もしい後輩と、仲間に支えてもらいながら、2人の息子の出産と育児、プレス業務をなんとかこなす中、

当時の夫のニューヨーク転勤が決まり、長男5才、次男2才の時に入社10年目でワールドを退職。

 

ニューヨーク時代。 ライター&取材

 

ニューヨークでは、マンハッタンのミッドタウンイーストサイド、49丁目とセカンドストリートの角のコンドミニアムに居を構えた。

国連本部の近く、まっすぐ行くとリスマスツリーで有名なロックフェラセンターがあるど真ん中。子供たちは現地校に通わせた。

文字通り人種の坩堝、「BIG APPLE」マンハッタンでの子育ては私の価値観を大きく変えてくれた。

ワールド時代に子供服の担当をしていたご縁で、小学館のOYAKOという子育て雑誌で子育てエッセイ「大谷ミサのニューヨーク子育て事情」

連載が始まる。季刊誌から月刊誌になったけど、帰国前に休刊になってしまった。連載の他に、現地のファミリースナップ特集や、子供服のプレゼント企画なども担当した。その時のカメラマン常盤さんとは今でもつながっている。ニューヨークで出会った友人たちとは今でも交流があって、貴重な関係だ。

ニューヨークでは三男を妊娠出産。現地校の友人から現地の病院を紹介してもらい、辞書片手になんとか出産まで英語だけで乗り切ったのは、忘れられない経験になった。

 

帰国後。❶  フリーランス翻訳ライター

 

3人の息子とともに帰国。末っ子がまだおむつ小僧だったし、5年生と1年生の息子たちが日本の小学校になかなか馴染めず、子育てに追われて

正直仕事復帰は頭になかったけど、やっぱり専業主婦は性に合わないということにだんだん気がつく。ワールド時代にお世話になった広告代理店さんから在宅での仕事のオファーをいただく。海外ブランドのコーポレイトトランスレーション。社内外の文書の翻訳が主な業務。英語と接することができてありがたい仕事だった。そののち、アパレルブランドのカタログのコピー英訳の仕事を定期的にいただくようになる。

(To be chic/LEPCIM/undercurrent/HARE/LESTERA/STAR JEWELRY/MACKINTOSH/MACKINTOSH PHILOSOPHY/nico and.../シンプルライフ /GALLARDAGALANTE/組曲 など)       

 

 

 

帰国後。❷  専門学校講師

 

またまたワールド時代のご縁で、バンタンデザイン研究所 バンタンキャリアスクール銀座校の非常勤講師に。ファッションビジネス本科コースプレス講座・出版クリエイティブコース・ファッション誌編集専攻講座・出版クリエイティブファッション専攻講座・ファッションエディット講座など、2年間、全日制の選択クラスと土日クラスの複数クラスを持つ。カリキュラムは全て自分で考えなければならず、大変だったけど、面白かった。何を隠そう、私は高校生の時、学校の先生になりたくて教育学部を目指していたのでした。(大学受験は惨敗で願いは叶わず。。。)

電車の中刷りコピーを調べたり、自分でトップページの企画を考えさせたり、課題を考えるのが楽しかった。ただ、常勤講師になってほしいと言われ、辞退させてもらうことに。

 

 

帰国後。❸  ちょっとだけ芸能界そして神社好きへの道

 

長男が高校生、次男が中学生になり、時間ができたころ、三たびワールドのプレスハウス時代から交流が続いていた元スタイリストさんが女優さんのマネージメントをする会社をお手伝いすることに。いわゆるデスク業務から始まったが、マネージャーが相次いで辞めてしまい、ドラマ撮影や舞台の現場にもつくように。刺激的だったけど、キツかった・・・自社企画の舞台もあり、地方公演も経験。演劇部や放送部だった私は、嫌いじゃなかったし、むしろ結構向いてるんじゃないかとも思ったけど、結構ドロドロ・・。ちょうどそのころ、離婚問題が持ち上がった時期で、末っ子の中学受験も重なり、精神面から体調を崩し、やめることに。やめると決めた頃に、実は他の事務所から引き抜きの話をいただいたのでした。やっぱり結構向いていたのかも。そして自社企画の舞台が神社を舞台とした神話劇だったことから、神社好きが始まる。

 

 

シングルアゲイン。 グラフィックデザイナー・レタッチ・撮影

 

離婚することになりそうだった頃に、ワールド時代にお世話になった(こればっかりだけど)広告代理店の社長さんにお目にかかる機会があり、仕事ありませんか?と就活を始めた。すると取引先の会社の販促物の製作担当者が出産で退社するので、代わりの人を探しているとのこと。

条件はマックでイラストレーターとフォトショップが使えること。実はこの数年前から独学でイラレとフォトショを使って簡単な印刷物を作っていたのですぐさま「はい!」と手をあげた。高級時計・宝飾貿易商社平和堂貿易株式会社で展示会案内状、百貨店DM、フライヤー、ネームカード、企画書、POP、ポスター、雑誌広告、コルトン、など年間かなりの数の印刷物を作りながらグラフィックの腕をぐんぐん上げて行きました。

約5年在籍しましたが、後半は経費節減のために、ジュエリーや時計のブツ撮り写真も撮っていました。撮影ボックスを使いこなし、ライティングの研究を重ね、フォトショでのレタッチの腕も上がりました。また、年2回の高級ホテルでの催事の準備や受付も貴重な経験でした。

 

アパレルアゲイン

 

久しぶりにスポーツアパレルの販促業務に戻りました。時代はウェブ・SNS・動画が主流に。雑誌は廃刊や休刊が相次ぎ、インスタやFacebook中心の販促が必須の時代。紙のカタログは不要になり、ウェブカタログや動画を作成しました。新しいこと、大好き。新たな学びと気づきの日々でした。なので、広告も、回せるようになりました。新しく出会った外部の制作スタッフの方々との仕事は刺激的で、固まりかけていた脳や感性が活性化されました。コロナをきっかけに、3年で退社することになりましたが、ここでできた若い仲間は、私にとってとても大切な友人になりました。

 

アパレルアゲイン

 

久しぶりにスポーツアパレルの販促業務に戻りました。時代はウェブ・SNS・動画が主流に。雑誌は廃刊や休刊が相次ぎ、インスタやFacebook中心の販促が必須の時代。紙のカタログは不要になり、ウェブカタログや動画を作成しました。新しいこと、大好き。新たな学びと気づきの日々でした。なので、広告も、回せるようになりました。新しく出会った外部の制作スタッフの方々との仕事は刺激的で、固まりかけていた脳や感性が活性化されました。コロナをきっかけに、3年で退社することになりましたが、ここでできた若い仲間は、私にとってとても大切な友人になりました。